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第1回 学生のレポートを見て感じたこと

2006/09/14

 医学部6年生の総合講義(生殖医療)に関するレポートを評価した。私にとって千葉大学での評価は初めてである。
 レポートの中には講義内容を網羅的に記載しているだけのものもあったが、多くは講義内容を消化して自らの考えをみごとに記載していた。今回の講義は、5人の講師がそれぞれの専門に沿って“生殖医療の現状と将来の展望”をテーマに、合計2日間にわたって講義を行った。どの講義のどの内容に最も感銘したのかは受講生ごとに異なっていた。また、講義や講師に対する評価も学生ごとに大きく異なっていた。このような多様性は、学生の健全さを物語っていると思う。
 今回の総合講義は、学部教育の総仕上げであると同時に卒後教育、その後の生涯自己学習への準備でもある。そのような観点から、講義内容からの発展性を中心に評価することにした。興味を持った項目について、講義内容を発展させ自らの調査を加えて、自己の判断や意見を述べているものを高得点とした。これらの作業に要したであろう時間を推量して、判定に反映させた。学生の意見や考え方そのものの妥当性についての評価はできる限り避け、“多様性の温存”に努めた。結果として、講義ノートの転記にとどまったものやきわめて短いもの、あるいはネット上に公開された資料の転記と思われる文章は、低い評価となった。学年全体としては、予想以上に高得点であった。
 採点をしながら、生殖医療の分野に興味を持っている学生が少なからずいることを確信した。周産期医療が抱える最大の問題は、過重労働と医療訴訟である。前者に対しては、集約化による対応が行われているが、絶対数が少ない現状では奏功しそうにない。報酬をあげるという動きもある。後者への対策として、無過失補償制度の検討が自民党で始まり、年内にも結論が出される見込みである。遠くない将来にこの制度が必ずスタートする。この制度により、周産期医療の抱える問題がある程度解決され、かならず産婦人科を選択する医師が増加し、過重労働の問題もおのずと解決していくと信じている。
 話はそれるが、私が産婦人科医になってすぐの頃、医療訴訟は遠い世界の出来事と感じていた。駆け出しの若年医師にとって、初めて診る病気・聞いたこともない病気に出くわすことも珍しくなかった。適切な診断ができず、患者に迷惑をかけた。そのたびに大いに反省し、勉強することで、自分を向上させてきた。同じ病気の患者さんを2度目に診たとき、すみやかに診断ができた自分をみて自らの成長に心を踊らせたものであった。それまでできなかったことができるようになる、自らの限界が少しずつ広がっていく、のを楽しむことができた。難産の妊婦さんに一晩中お付き合いするのは辛かったが、牽引術によって経膣分娩に成功したときの喜びは、ある意味で妊婦さん以上のものがあったように思う。分娩後の処置を終えて、日の出直後の冷たく張りつめた空気の中を帰宅した日々を思い出す。疲れた頭と体に、日の光が眩しかった。心地の良い疲労感を味わっていた。 
 医療訴訟が多くなった現代では、若い産婦人科医が萎縮しているように感じられて、気の毒な気がする。失敗と成功を重ねながら自らの経験を積んでいた私たちの時代に比べ、失敗が許されないなかでの研修である。自らの成長を楽しむ余裕などないのではないだろうか。私としては、このような状況を打破するためのアクションを起こさなくてはいけないと考えて準備をすすめている。古き良き時代の“良さ”を取り戻すことは、この時代を記憶している私たちのノルマのような気がする。 
 話を、元に戻そう。講義レポートを読んで、学生の健全さに安心した。この学生が育っていく過程に私はどれくらいの寄与ができるのか、改めて自らにかせられた責任の重さを感じた。最近、faculty development program “試験問題の作成と成績判定”を受講した。このような技術面でのトレーニングの成果も、実際の教育の場に生かしたいと考えている。